武道教育と無意識 第4回

そろそろ自らのコンプレックス(劣等感を含む無意識に沈む認めたくない思い、嫌な思い、心の傷や他人に知られたくない欲求など)を省みることの重要性をわかり始めて頂けたでしょうか?

前号でも述べましたが、錯誤行為(意識のコントロールが弱まった時に露出してしまうコンプレックスを含む深層心理を現す場違いな言動や動作)を、最小限に食い止め、心を成長させていくためには、例え認めたくない自分であっても、自らを省みることが必要になります。

人間には性格がある以上、誰の無意識の中にもコンプレックスは存在しています。それらは時に、意識の統一を破ってしまったり、意識や動作を狂わせてしまうような自立性を持っています。

また、再三申し上げている通りコンプレックスは、普段は意識に抑えられていて顔を出すことは少ないのですが、私たちの行動や動作、感情に強く影響を及ぼしています。だからこそ、私たちがコンプレックスに支配されないためには、それを意識化することが必要になるのです。

そのためには、自らの無意識的な心の傾向を知るための重要な要素となる、自我防衛メカニズム(1.抑圧 2.反動形成 3.置き換え 4.昇華 5.退行 6.補償 7.同一視  8.投影 9.合理化 10.逃避、これら十通りの方法を微妙に組み合わせて、自分にとって都合の悪い意識を無意識へ追いやり、コンプレックスを形成させるメカニズムのこと)の理解が必要であると同時に、そのことが武道文化自体を理解することにつながります。

そのため、前号では、自我防衛メカニズムの3.置き換えまでを説明致しました。
今月号では、4.昇華より説明していきたいと思います。

4. 昇華

前号で説明した置き換えの中で、特に若者の衝動(リビドー)やコンプレックスが、社会的により高い活動に向けてエネルギー充当されることを昇華と呼びます。

置き換えが、衝動(リビドー)やコンプレックスの発散の対象を無意識的に実現可能なもの、実現容易なものに置き換え、代理の対象により欲求を充足しようとするのに対して、昇華は、衝動(リビドー)やコンプレックスの発散を、やはり無意識的に社会的に評価される方向に心的エネルギーが集中されることを言います。

特に思春期以降は、青少年の性的エネルギーが急激に高まるため、自我は本能に突き上げられ、それまで溜め込んだコンプレックスごと、その充当先や発散場所を希求することになり、とても不安定な時期となります。

この時期の青少年にとって昇華は、とても大切な心的現象で、どのようにして青少年の衝動(リビドー)を昇華(もしくは補償)に結びつけていくのかは、十七年前、空手道場を開設したばかりの私にとって、一つのテーマでもありました。

その頃から最近まで私は、地域の社会に不適応な青少年達を、保護者の方達に頼まれて自宅に引き取り指導しておりましたので、青少年の衝動を昇華に結びつけるため、様々な工夫を凝らしてきました。(そういった活動が現在の研修寮へと結びつき、研修寮には現在も、研修生に混じって社会不適応児たちが一緒に稽古に励んでいます)

まず一例をお話すると、私の所に連れて来られる子供たちは、両親に無理矢理預けられて、やりたくもない武道でしごかれるのだという思い込みが出来上がっていたため、私は「別に空手をやりたくなかったら、やらなくてもいいぞ。先生も、空手やりたくない者のケツひっぱたいてまで無理にやらせるのは好きじゃないんだ。でも、お前の親から一応預かった手前があるから、二週間だけここにいろ。二週間経っても空手をやるのが嫌だったら、お前の親にお前の好きに出来るように話をしてやるから。」というような趣旨のことを子供たちに伝えることから始めました。

思い込みが意識から外れてキョトンとしますが、二週間だけならと思い、私の家に住むことを承諾します。そして、その子供の寝室に、ノンフィクション物と称する空手マンガを乱雑に置いておくと、最初は興味を示しませんが(無意識的な空手に対する拒否感からだと思われる)、二、三日すると、ヒマを持て余しているのでそのマンガを読み始めます。

そのうちに、そっと部屋をのぞくと、一人で突き蹴りをシュッシュと行なっていたりすることもあり、そんな時は腹の底から笑いが込み上げて来て、こらえるのが大変です。

一週間ほどして、マンガを全部読み終えたその子供は、私に「先生、このマンガに書いてあること、ほんと?」と質問して来ました。そこで私は、「本当のことだよ。興味を持ったのか?とりあえず興味が出て来たのなら、やってみればいいじゃないか。学校の部活じゃないんだから、やめたくなったらいつでもやめればいいんだから。」と水を向けます。(ウソをついてごめんなさい。それも君達のためだったんだから許してくれ)

そこまで来ればしめたもの、後は「パンチがいいぞ」とか「バランスがいいな」とか、その子供の良い部分を徹底的に誉めてあげることで、社会的に不適応な子供達は、普段余り誉められた経験がないため、それが快感となり頑張り始めます。

また、社会に不適応であるということは、衝動(リビドー)を自我(意識)が抑えることが下手なためと、もう一つは、コンプレックスのエネルギー量が大きいため、無意識の心的エネルギーを昇華の方向へ向けるきっかけを作ってやることで、躊躇なく設定された目標に向かってエネルギー充当することが出来、身体的にはそれほどの素質がなくても素晴らしい成績や実績となって現れるのです。

つまり、社会に不適応であるということは、必ずしも悪いこと、劣っていることではないのです。問題は、彼ら(彼女ら)の無意識に溜め込んだ心的エネルギーを、社会がどう方向づけてあげるかということではないでしょうか。

我が禅道会では、思春期の頃の問題児が立派に更正し、強豪選手と呼ばれるようになり、何百人もの道場生を相手に、武道教育の指導に情熱を傾ける者も少なくありません。これからの社会を希望のあるものにしていくためには、私たち大人が自らのコンプレックスと向き合う中で、どのような視点で青少年と向い合っていけるかにかかっているのです。

 

読者のみなさん、あなたが自分個人を省みるとき、自分にはどんな傾向でコンプレックスが形成されたと感じていますか?

私の場合は母子家庭に育ち、少年期は体が細く、体力的にもかなり貧弱な方で、縁側でひなたぼっこをしていると「永遠にこんな時間が続けばいいな」とか「生まれたら必ず死んでいく命に何の意味があるんだろう」とか、そんなことを本気で考え、いつも内的不確実感に苛まれている少年でした。思春期より始めた球技にも夢中になりはしたものの、少年期より苛まれ続けた内的不確実感を埋めるには至りませんでした。

ちょうどその頃、世間では空前の空手ブームが起きていて、どの団体の空手道場も入門者が後を絶たない時代でした。

そんなとき私は、自分自身の意識では、最も不向きで苦手な分野だと感じていた格闘技を志してみようと思い立ち、空手道場の門をくぐり、それ以来夢中で稽古を繰り返し、体もどんどん大きくなり、ベンチプレス180kgを上げることが出来るようになる頃には、少年期に苛まれた内的不確実感をすっかり忘れていて、それを感じることもなく自信もついていました。

ところが、どうしたことか、二十五歳を過ぎた辺りから、またあの少年期に感じた内的不確実感が甦って来たのです。それは私にとって相当ショッキングな事実でした。「あれほど自分自身を鍛えて来たのに、精神的にはまるで強くなっていないじゃないか。武道で本当に精神が強くなるのだろうか?」と初めて武道に対する疑問がわいて来たのです。私の体験したこの感情を、経験した人は実は意外と多いのではないでしょうか。

何故ならば昇華とは、設定目標がいくら高次元のものであっても、自らは、あくまで無自覚なまま、無意識に沈んでいたコンプレックスを置き換えたままであるからです。

実は、ここからが武道の入口なのです。若い武道家のみなさん、よく覚えておいて下さい。一生懸命武道に取り組んで来た人ほど、強くこの感情を経験します。そのとき、それまで取り組んで来たものから決して逃げてはなりません。そのときが実は大きなチャンスなのです。

自分自身に降りかかる様々な出来事を、真正面から受け止めていれば、必ず希望の光が見えて来ます。私は、甦ってより強力となった内的不確実感や、その時期、あれだけ心の支えだった武道に対する疑問、家庭の不和、経済の困窮、預かっている子供達や道場生に対する指導上の責任感等に苦しめられ、自分の表情さえ無くし、孤独になっていました。そんな自分を何とか支えて来れたのは、無意識からのささやきだったのです。

心も体もバラバラになりそうな感覚に苛まれていた私は、道場生にそれまで教えて来たことだけは嘘にしたくないという一心から、稽古だけは懸命に続けていました。そんな十年位前の冬の終わりのことでした。「早く桜の花が咲いてくれないかな。桜の花が咲いてくれたら、どんなにか気持ちが慰められるのに」という思いが当時の私の中で、唯一の強い欲求となり、いつものランニングコースにある桜並木を走っていました。そして、長く待ち望んでいた桜の花が咲いたのを観た瞬間、武道本来の意味や心の構造、現在の禅道会の稽古体系などが、いっぺんにひらめき、自分は今後何と向い合っていけばいいのか、瞬時に感じ取ることが出来たのです。

また、初めて起きたこの感覚を、自分の中ですでに構造的に理解出来ていたのです。このとき私は、コンプレックスの一部を引き上げ意識化したと確信し、ようやく武道の入口に辿り着いたと実感し、自らの全体性を獲得する旅をすることに少しも迷わなくなりました。

それまでの私の武道感は、自虐的で自らの内的不確実感を外部に投影していたに過ぎなかったのです。私が変わり、そして道場生達も変わり始め、強い選手も続々と生まれ始めました。また、周りの理解者も増え始めるようになりました。

現在、禅道会では、医療や福祉の団体や、他の文化団体とのタイアップを図り、社会のために武道を役立てることの可能性を広げることを模索中です。
続きは次号にて。

小沢 隆 首席師範

禅道会 小沢隆 首席師範

東海大学在学時代にフルコンタクト空手を習い始め、84年に大道塾に入門。飯田支部長を経て、99年に禅道会を設立。

  • 空手道禅道会 首席師範
  • NPO法人日本武道総合格闘技連盟 理事長
  • ディヤーナ国際学園 学園長
  • NPO法人文化教育活動支援協会 名誉会員
  • 空手を安全に収得できる稽古体系の確立に対し「大衆ノーベル賞」とも言われる東久邇宮記念賞を受賞
  • これまでの武道教育の経験をまとめた「無意識の教育」を出版
  • 武道と格闘技の根本的な違いを明確化した「武道の心理学入門」を出版

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