武道教育と無意識 第6回

自分自身の無意識の中にあるコンプレックス(無意識に潜む劣等感を含む認めたくない思い、心の傷や他人に知られたくない欲求など)を理解し、少しずつ自覚するようになると、理解から自覚に変わる段階においては不安定になる場合もあるのですが、峠を越えると、彼らの表情はまるで憑き物が落ちたかのように明るくなります。

自我防衛メカニズム(1.抑圧 2.反動形成 3.置き換え 4.昇華 5.退行 6.補償 7.同一視  8.投影 9.合理化 10.逃避、これら十通りの方法を微妙に組み合わせて、自分にとって都合の悪い意識を無意識に追いやり、コンプレックスを形成させるメカニズムのこと)の中で、彼らが最もインパクトを受け、心の引っ掛かりが取れるきっかけとなるのが、8.投影のようです。

前号では、6.補償までを説明しました。今月号では、7.同一視と、研修生達が最もインパクトを受けるという8.投影を説明していきたいと思います。

7. 同一視

同一視とは、自分の好きな人と同じ言動や行動をとることにより、心身ともにその人になりきり、不安や衝動を解決するメカニズムです。

子供の成長過程において、3歳から6歳くらいまでの期間を、エディプス・コンプレックス期(女の子の場合はエレクトラ・コンプレックス期)といいます。
4、5歳を迎えた男の子は、父親のことを母親の愛情を奪おうとするライバルであると見始めます。また、女の子は、母親のことを父親の愛情を奪おうとするライバルと見始めます。

その年代以降のお子さんをお持ちの親御さんであれば合点がいくと思いますが、この時期の子供は、男の子であれば母親の愛情を得ようとし、女の子であれば父親の愛情を得ようとするため、「僕(私)は、お母さん(お父さん)と結婚する」と言ったりします。

また、男の子であれば母親に(女の子であれば父親に)恋愛に似たような感情を抱きます。それと同時に、ライバル的意識を持っていることが父親(母親)に知られて、処罰されるのではないかという不安を感じ、罪悪感を抱きます。その罪悪感のことを、エディプス・コンプレックスといいます。

しかし、男の子はやがて、ライバルというには余りにも大きな存在である父親を認め、母親に愛される父親のようになりたいと思うようになるのです。そして、自分自身を父親と同一化させようとします。こう考えることにより男の子は、初めて男らしさを獲得するのです。(女の子の場合は、母親と同一化することで女らしさを獲得します)

この時期には強い父親の存在が欠かせません。(あまりに強過ぎてもダメなのですが……)父親の力が弱すぎる場合は、男の子は自分自身と父親の同一化を果たすことが出来なくなります。また、父親の在り方が母親にも影響を与え、家庭内での父親の弱さが、女の子の母親に対する同一視にも悪影響を与えます。弱い父親と母親の過度な投影(過保護)は、明らかに子供に悪影響を与えるのです。

また、それらをカバーするはずの地域社会や学校教育においても、威厳のない小学校の教師に、過剰に子供を守ろうとするPTA。本来、一番必要であるのは、それらと正反対なものなのですが……。

そして、この時期は子供のしつけにとっても、とても大切な時期です。この時期に得た超自我(両親のしつけや先生の教育によって作られる理想的行動の価値基準)の強さが、思春期の不安定な時期に問われることとなります。
父権が失われてしまった現代にとって、礼節を重んずる武道教育は、子供達の、より向上しようとする強さと、強さに憧れる同一視的感情を育むために大変優れているのです。

強さとは、単に肉体的なことだけを指しているのではありません。連載3回目にも記しましたが、自らのコンプレックスと向き合うこと、例えリスクが高くても、我々大人が、そして特に父親が、自らと向き合うことの手本を子供達に示すべきなのではないでしょうか。

教育荒廃が叫ばれる昨今、それらの問題の根本的な原因は、我々の無意識の中にも住んでいるのです。(父権が弱い社会では、いわゆるオカマが増加する可能性があります。オカマが多い世の中が、よい世の中であると言えるでしょうか。一概には言えませんが、私にはこの現象が心の歪みから生じるものであると感じます。 ※先天性性同一性障害の場合を除く)

8. 投影

全てのものには影があります。心も例外ではありません。「僕ってこんな人間」と思っていても、それは意識の上でのことです。周囲から「お前ってこんな性格だよな」とか「あなたってこうよね」などと言われたものの積み重ねに過ぎません。意識上の人格のすぐ裏には、影なる人格が密かに生息しています。そして影なる人格は、他人に乗り移ることで表舞台に登場してきます。これが投影のメカニズムです。

実は、人の心は投影の産物といっても過言ではないくらいなのです。影を投げると書く通り、自分の無意識に潜んでいる認めがたい複雑な感情(影)を、文字通り他者に投げかける行為です。人は、程度の大小はあっても、投影することで身の安全を図ろうとし、あるいは人生を彩ろうともします。

みなさんの周りに、何となく虫の好かない人、マススパーリングをやっていると、どうしてもリズムが合わなくて苛立ちを覚える人はいませんか。
また、異性や憧れていた格闘技の先輩の一部分を見て、強い減滅感を抱いた経験のある人はいませんか。
ここまで文章を読み進めた読者のみなさんで、勘の鋭い人はもうお気付きになって頂いたでしょうか。

影はコンプレックスの一部です。
投影は、自分の中にある認めたくない無意識的な感情を、他者にスクリーンのように映し出し、不快を感じたり、また逆にあの人のためならばと、その人そのものを見ずに、自分の甘美な幻想に溺れたりします。

つまり、現実と向き合うことを避け、自らの自我を防衛するために、自己の無意識に潜む認めたくない感情(コンプレックス)を、他人が持っていることとし、人のせいにするか、もしくは反動的な希望を他人に映し出し、仮想現実の中に埋没し、自らのコンプレックスと向き合うことを回避しようとする無意識的な心の働きなのです。

言い換えれば、人は大なり小なり投影を行う以上、自らの主観的現実と真実との間には、どんな人であってもズレがあるのが必然です。ある人が、他人とのトラブルに苦しんでいる、もしくはある人に強い失望感を感じ、人間関係が破綻寸前であるとしましょう。その苦しみの根本的な原因は何でしょうか。結論から言えば、そのほとんどの場合が、自らが作り出した投影による主観が、真実とのズレによって起きていることから生じるのです。

武道が何故、格闘の現実性(実戦性)を追及しなければならないのか。
それは投影を最小限に抑え、勝敗から生じる自らの現実と他者の実態を感じるためにあるのです。そのためにも、道の競技方法には、極力仮想現実を排出し、より現実に近付けたものでなくてはなりません。

すなわち、武道を追求することは、敗北の原因を自らの心技体の中に求め、その中で得たズレのない真実や、それに気付かせてくれた他者への尊重心を育てていくことに他なりません。

人は、一人では生きられません。等身大の自己と等身大の他者が、逃げることなく向き合い、触れ合い、競い合う中でこそ、関係性が育っていきます。そして、そのことを原点として、稽古や日常の中で、自らの苦しみの根本的な原因について悟り、社会に住む人々が、同じ土壌に住んでいることを自覚することが、現代社会に生きる我々の義務でもあるのです。

親子愛、家族愛、恋愛、師弟愛、友情は、最初から存在しているのではなく、自らと、また現実と向き合う中で育つものです。そして、その原点は家庭にあります。両親の子供に対する過度な投影は、決して子供に対する愛情ではありません。投影が自我防衛メカニズムである以上、自己愛なのです。自らの反動的コンプレックスを子供に押し付けているだけなのです。

そのため、現代の青少年達には、人に愛されたという実感がともなっていないことが多いのです。私は、武道を通じて一人でも多くの人が、このことに気付いてくれたならばと考えています。

格闘競技も含め、人生のあらゆる苦難や孤独に打ち勝つには、意識と無意識を調和させ、自らの心の中の対立を無くし、心の平和を勝ち取ることが、あらゆる戦いのアドバンテージをとることになるのです。
続きは次号にて。

小沢 隆 首席師範

禅道会 小沢隆 首席師範

東海大学在学時代にフルコンタクト空手を習い始め、84年に大道塾に入門。飯田支部長を経て、99年に禅道会を設立。

  • 空手道禅道会 首席師範
  • NPO法人日本武道総合格闘技連盟 理事長
  • ディヤーナ国際学園 学園長
  • NPO法人文化教育活動支援協会 名誉会員
  • 空手を安全に収得できる稽古体系の確立に対し「大衆ノーベル賞」とも言われる東久邇宮記念賞を受賞
  • これまでの武道教育の経験をまとめた「無意識の教育」を出版
  • 武道と格闘技の根本的な違いを明確化した「武道の心理学入門」を出版

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