武道教育と無意識 第7回

いよいよ梅の花の咲く季節となりました。この時期、朝の光を浴びながら天竜川のほとりをランニングしていると、川の流れの音が冬よりやさしくなっていることに気付かされます。田んぼのあぜ道には、「イヌノフグリ」という小さな紫色のかわいい花が咲きます。そんな時、梅の花の香りが周辺に漂ってくると、自然に対する感謝の感情が無意識の底から湧き上がってきます。自然を愛でるのはいいものです。

私は、自分の住宅の一階にある禅道会高森道場での午前中の稽古での指導を終え、ランニング(もしくはうぉーきんぐ)をすることを何よりも楽しみにしていて、午前中の稽古の常連でもある石原美和子君(読者のみなさんもご存知の方が多数いるかと思いますが、女子格闘技界では対日本人十年間無敗、日本最強といわれている155cm80kgの立派な体格の人のことです)を伴い、よくランニングに出かけます。

私は彼女のことを普段は「ふとっちょ君」と呼んでいます。「おーい、ふとっちょ君、ランニングに行くぞ」と声をかけると彼女は、「先生、毎朝傷付くじゃないですかーやめて下さい」とブツクサ言うので、「本当にふとっちょなんだから、しょうがないだろ、石原。自我防衛(1.抑圧 2.反動形成 3.置き換え 4.昇華 5.退行 6.補償 7.同一視  8.投影 9.合理化 10.逃避、これら十通りの方法を微妙に組み合わせて、自分にとって都合の悪い意識を無意識に追いやるメカニズムのこと)すんな、現実を認めろ」と私が返すと、「ううう・・・いつかコンプレックス(無意識に潜む認めたくない思い、心の傷や他人に知られたくない欲求など)に押しつぶされて拒食症になって死んでしまう」などと言うので、「死ぬのはお前に乗っかられた人間だぁ」などと、くだらないことを言い合いながら、ランニングに出かけるのです。私はこのような自然環境の中、自らとまた弟子達と向かい合って来れたことに大変感謝しています。

さて、今月も、自らの無意識的な心の傾向を知るために、重要な要素となる自我防衛メカニズムの説明に入らせて頂きます。
前号では、8.投影までを説明しました。今月号では、9.合理化、10.逃避を説明していきたいと思います。

9. 合理化

合理化とは、合理的であるというのではなく、むしろ無意識のうちに無理矢理合理的だと思ってしまうことにより、自我を守ろうとするメカニズムです。

みなさんの周りにも、かなり自己中心的な論理を展開し、どんなに建設的に話し合おうと思っても、頑として自説を曲げようとしない傍迷惑で協調性のない人や、何か失敗すると常に最もらしい言い訳を繰り返す、見苦しい人がいるはずです。

こういう傾向の人は、意識では自分の見解や言い分が正しいと思っているのです。再三申し上げている通り、自我防衛メカニズムは無意識的に行われているため、合理化を行っている本人は、どんなに滅茶苦茶な論理でも、正当性があると思い込んでいるのです。

そのため合理化傾向の強い人は、周りの人からすると大変タチの悪い人になるのです。自らと向かい合いながら、起きた事象を柔軟に受け止め自省し、円熟しながら年齢を重ねる人と、年齢と共にかたくなになり、起きた事象から何も学習出来ずに、自分の論理だけが正義と思い込み、受け入れられない自己を被害者と思い込んでしまうコミュニケーションの取りづらい人とに、老年期の人のタイプが二分されやすいのは、この合理化が関わっていると考えられます。

ある人が、武道競技の結果を合理化し、自我にとっての都合のいいように解釈し、敗北の原因から無意識に目を背けたとしたらどうでしょうか。
当り前のことですが、その人は、結果から何も学習することは出来ません。仮に努力を継続したところで、当然この学習することを拒否したズレた努力では、どんなに重ねても大輪の花を咲かせることはありません。体力が向上している間、もしくは身体的能力が高い場合は、一時的な思い込みパワーで力を出す場合もあるのですが、そのような人は、仮に格闘技が強くても、努力すればする程かたくなになり、周囲の人間が離れていき、ますます意固地になっていきます。言うまでもなく、このようなことは、武道の目指すべき方向性ではありません。

前号でも述べた、武道が何故格闘技の現実性(実戦性)を追求しなければならないのかは、勝敗から生じる現実から逃げてはならないからです。合理化の生じる余地のない問答無用の現実の中から、自らのコンプレックスと向かい合い、コンプレックスを形成させてきた日常を、非日常的な目線で省みる必要があるのです。

私は、現在の社会システムや国際問題も、そのような視点で省みることが大切だと考えています。

今、私達の意識社会は、重要な岐路に立たされています。意識社会の象徴である合理的な私達の住む都市やそのシステムは、本当の意味で合理的と言えるのでしょうか? 自我にとって都合が良かっただけなのではないでしょうか。世界に横行する正義と正義の応酬による戦争は、果たして本当に正義でしょうか? 正義と正義は何故コミュニケーション出来ないのでしょうか? 少なくともコミュニケーション不可能な正義は、創造的ではありません。今こそ私達は、身体を通して、事象の裏側に潜む真実に目を向けなければならないのです。

10. 逃避

逃避とは、無意識に都合の悪い事態との直面から逃げ、葛藤場面との直接対面を避けようとするメカニズムのことです。

逃避というと、みなさんの頭に浮かぶのは、現在の社会問題の一つにあげられる「引きこもり」ではないでしょうか。「引きこもり」とは、その一言で全てを形容出来るものではありませんが、実際、過度の逃避がその主原因であることが多いと思われます。世相を反映してか、禅道会の研修寮にも「引きこもり」と呼ばれる青少年が入寮するケースが、ここ数年目立ち始めました。その中で、具体的なエピソードとして、K君について述べさせて頂きます。

彼の両親は、父親の経済的破綻から、彼が五歳の時に離婚していて、カギっ子として育ったものの、小・中学校と割と順調に進級し、成績も中位で、特に何の問題もなかったようでした。ところが、高校に入学してから突然引きこもるようになり、本人自身も、何故部屋から出られなくなったのか、自覚的には全く理由がわからなかったそうです。彼に初めて会った時の第一印象は、決して悪いものではありませんでしたが、プライベート話、特に家族の話には口が重く、感情が自分の表情に出ることを極端に恐れているようでした。

しかし、コミュニケーションの甲斐あって、その後、彼は空手を始め、学校へも通うようになったのですが、相変わらず感情を表に出すことを怖がっているようで、嫌がる彼に映画を見せたり、読書をさせたりしたものですが、何故か恋愛ものを見ることに強い抵抗を示しました。

感情を表に出すことを極端に恐れる彼の試合ぶりはというと、歯切れが悪く、観ている仲間達もイライラするらしく、仲間達からはいつも罵声が飛ぶ有様でした。私は彼に、『カオナシ』というあだ名をつけました。そして、彼に感情を一度思いっきり吐き出させなければと、私は彼の口に毒まんじゅうを投げ込むチャンスを伺っていたのです。

そんな折、彼は何と偶然恋をしたのです。あるパーティーの二次会でたまたま入った飲み屋に勤めていた、彼の母親によく似た女性に。私はこのことが、彼にとっての毒まんじゅうだと直感しました。その後、彼を伴い数人がその店に通った何度目かの帰り道、店を出て車に乗り込み、たった三百メートル位走った辺りで、彼は急に大声で泣き始めたのです。

私の直感は当たっていました。彼は幼い頃、母親の愛情に強いフラストレーションを感じ、自分は愛されていないと感じていたのです。そして、思春期に入り性の目覚めの時期に、性に愛されないかも知れない自己を認識することを恐れました。プライドの高い彼は、その感情を他人に悟られることを無意識に避け、「引きこもり」となったのでした。

そして、彼の無意識に住む五歳の悲しみに満ちた彼は、母親によく似た女性に転移(ある衝動が別の場面に形を変えて現れてくること)することで、封じ込められていた悲しみを解き放ったのです。彼の恋は終りました。

しかし彼は、自分の顔を手に入れました。もはや『カオナシ』ではありません。それまでの試合は出ると負けだった彼はその年、リアルファイティング選手権予選大会82.5kg以下級において初優勝し、五千名の門下生を誇る禅道会の中で、たった16名のみがエントリー出来る、リアルファイティング空手道選手権大会の本選へと駒を進め、優勝者を相手に大善戦、見事に昇段、彼の目には熱い涙が光っていました。

小沢 隆 首席師範

禅道会 小沢隆 首席師範

東海大学在学時代にフルコンタクト空手を習い始め、84年に大道塾に入門。飯田支部長を経て、99年に禅道会を設立。

  • 空手道禅道会 首席師範
  • NPO法人日本武道総合格闘技連盟 理事長
  • ディヤーナ国際学園 学園長
  • NPO法人文化教育活動支援協会 名誉会員
  • 空手を安全に収得できる稽古体系の確立に対し「大衆ノーベル賞」とも言われる東久邇宮記念賞を受賞
  • これまでの武道教育の経験をまとめた「無意識の教育」を出版
  • 武道と格闘技の根本的な違いを明確化した「武道の心理学入門」を出版

▲ページトップへ